4月22日水曜日 午前10時頃?
職場でスマホを9時過ぎに確認した時は、たーぼーは
お座りしてキョロキョロ辺りを見回してました。
次、10時にスマホを確認した時、旅立ったその位置にいました。
そして、11時半に見た時も、同じ位置で、同じ恰好だったかは定かじゃなく。
11時50分に見た時も同じ状況
そこで、ようやく異変に気付き、胸騒ぎがし、慌てて職場を出て、13時に帰宅しました。
まだ、温かかいぬくもりはあるものの、完全に心臓は停止してました。
間に合わなかった。
確かに高性能なカメラじゃないので、その表情までは見れないけど
普通、ずっと同じ位置で、1時間以上も同じ恰好で寝てるはずないのに。
なんとも鈍くさい自分に、我ながら情けなくって
腹がたち、呆れて涙がとまりませんでした。
旅立つその日、
一緒に寝てて、朝方いつもより少し息遣いが違う感じなので、とても心配で
抱き締めてました。
なにか様子は違うものの、食事を食べさせたら大きなお口を開け食べたので
不徳にも安心し、迷いながらも仕事に行ってしまったんです。
一生後悔します。
アミの時も直後にラムが旅立ち
実は、ロングチワワ時代もそんな風にいつも2匹が連なってました。
出来る限り悪いことは何も考えない様にはしてたのですが
凄く不安でいました。
さすがに神経図太いモコままも、もう疲れました。
たーぼーは、三尖弁閉鎖不全症という病名で
生まれつきの心臓奇形ということでした。
それがわかったのは、5年程前からですが
先生は何も治療しませんでした。
最期まで咳も出ず、痩せもせず
腹水が溜まりだしたのも、旅立つ数日前からで、いきなり弱っていきました。
でも、この病気であることは前から判ってたのだし、
モコが旅立ち、凄い勢いで症状が悪化し、だるそうで心臓もバクバクしてきたので
何度も先生に相談したのに、お薬を貰えなかったことが未だ納得できません。
そして、お薬のこと、もっと強く言わなかった自分にも反省してます。
せめて1月からでも、お薬治療始めてれば、もっと長く生きられたのではと・・・
とても悔やまれてなりません。
たーぼーは、最期のその日の朝まで、きちんと御飯を食べ
オシッコも便も自分で、ふらふらになりながらも定位置でしました。
本当に、親孝行な子で、私に何も介護らしいこと、させてはくれませんでした。
私は、ただじっと見守るだけ。
なのに、最期の時を傍にいてやれなかった後悔は、一生残ります。
今は、今迄信じてきたものが、嘘の様に崩れ猜疑心でいっぱいです。
まだ家にはルティにポンタがいます。
数日前より病院を変えてみようかと、考える様になってて
実は、たーぼーが旅立ったその次の日、違う病院に行く覚悟決めてたんです。
何もかもが遅過ぎました。
なんでもっと早くに決断しなかったのか、後悔だらけです。
ポンタは衝動買いしちゃったけど、モコがもう少し早くに逝ってたら
今頃ポンタは家にはいないはず。
もう、生き物は懲り懲りです。
生あるものは必ず滅すとはわかってはいても、そんな簡単に
受け入れられるものじゃないです。
今日は、ずっとかたときもたーぼーから離れず、たーぼーに
手紙をしたためたり、たーぼーに「偉かったね、いい子だったね、ありがとう』って
何度も声をかけ、撫でてました。
今更と思うのですが・・・
直ぐにお別れだったんで気持ちの整理です。
府中にある慈恵院よりお迎えの車が13時半に来るまでの間です。
遺体を家で安置したかったのですが、もうこちらは暖かいので
保冷剤くらいでは、どんどん傷みが厳しいため、とりあえず土曜の葬儀まで
霊安室で預かって頂くことにしました。

モコもたーぼーも居なくなった室内は、とても静かで殺風景です
いつもの我が家じゃないみたいです。
そんな中、今、この記事をかいてます。
私の大好きなシーズー犬は、もう家にはいないんです。
シーズー犬は、男の子も女の子も甲乙付け難く、
どちらも、癒しを求めるには最高で素晴らしいパートナーでした。
シーズー犬飼ってらっしゃる方には、判りますよね?
これで、5匹のFunny Storyは、完全に成り立たなくなってしまいました。
もうルティ1匹しか残ってませんもの。
と同時になんだかモコ家の一時代が終わりました。
そう、たーぼーまでの4匹が、亡き主人のいた時代の子達なんです。
アミ、ラム、モコ、たーぼー、今頃、主人と会い、みんな揃ったと凄く喜んでるんだろうな。
とっても優しくって、みんなとっても可愛がって貰ったし、お散歩やおでかけも
いっぱいしてもらったものね。
今迄、たーぼーの応援、励まし、元気づけて下さって本当にありがとうございました。
もう、家には老犬はいないので、これが最後の悲しみで試練と信じます